葉室麟『蜩ノ記』

蜩ノ記

蜩ノ記

 武士は身分ではなく生き様であると再発見されたのは、すこしいかがわしいくらい美しく仕立てたと思われる時代小説によってだったのではないか。清濁あわせのめぬ愚直な男の生きざまを武士とし、むしろそちらの方が一般的だったのではないかと思われる権謀術数に頼る官吏のことを武士らしくないという。
 男子に求められる生き様と言ってしまえば、かなり乱暴になるか。
 そうして生きる人間や彼に巻き込まれる周りの者が幸せであったはずはないのだけど、そこをなるべく偽らずに書き通そうとする姿勢が一歩深い感動を呼んでいるのは疑いようがない。生きるとはひとりでの所業ではない。同時に死ぬこともまた、ひとりの所業ではない。
 誰かのために、何かのために生きるという言葉は、決して重いものではない。とどのつまり、そうすることでしかひとは生きていけないのだ。それは自分勝手で見苦しく、だからこそすこしだけ美しい。