三上延『ビブリア古書店堂の事件手帖』3

 これまでも何も変わらない。相変わらず好感度は高い。他に何も、言うべきことはない。

 古井由吉×佐伯一麦『言葉の兆し』

往復書簡 言葉の兆し

往復書簡 言葉の兆し

 すべてが奪われ、流れ去った後には、当然言葉も残らない。兆してくる場所はどこか。焼けた大地と濡れた大地、言葉にとって罪深いのはどちらか。それでも、悲しいくらいに共通しているのは、命が消え言葉が奪われたそこで、それでも生活だけはむごたらしく続くという事実だ。
 ゆえに、言葉は芽吹くだろう。続いているものがあるならば、沈黙はいつか破られる。取り戻すものでもなく作り出すものでもなく与えられるものでもない。それは自然と、気がつけばそこにある。
 そうでなければならない。

 伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』

屍者の帝国

屍者の帝国

 馬鹿にされているような、騙されているような、それでもたしかな質量をもって存在しているように見えてしまう世界。接続は容易ではないが、あまりにも鮮やかな手際でそれはなされてしまう。与えられた遺産は小粒でありながら劇薬でありすぎる。
 楽しく読んだ。力や役者が不足しているとは最後まで思わなかった。それでも、オリジナルを夢想する悲しみをいやしてくれるものではない。

 舞城王太郎『JORGE JOESTAR』

JORGE JOESTAR

JORGE JOESTAR

 補完するのではなく描き直す。広げるのではなく上から塗りつぶす。長大な物語の、何かのエラーで流れ出てしまった支流としては、こういう形での再生もあり得る。圧倒的に不自由でありながら、あくまでも自由であろうとする物語の意志が、紙面にある。
 それは明らかに異端でありながら、それでも烈しい光であることをやめない。目をすがめて、魅せられたとしても、別にいい。

 山崎ナオコーラ『ニキの屈辱』

ニキの屈辱

ニキの屈辱

 鈍感であることは罪ではなく特技であり、繊細であることははっきりと罰だ。それは咎のない罰に見える一方で、実際には決してそうではない。罪に対する罰。そのように生きていることそのもの、とにかくそれではひとの世は生きにくいもので、ひとの世にとってなじまないものはありがたいものではない。
 諦念でしかない。痛烈な皮肉が、対象には決して届かないように構成されているところが、とてもつらい。

 中村航『トリガール!』

トリガール!

トリガール!

 爽やかであることに自覚的な姿は、すこし品がなく、決定的にいかがわしい。その、いわく言い難いぬるさの中に宿る楽しさはたしかにある。あまりにも整備された箱庭で、あまりにも造られた人物たちが、あまりにも用意されすぎた筋書きを演じきる。
 批判の言葉は数限りない。そのうえたしかに高尚ではないが、ただ本来、娯楽とはそういうもので良いのではないか。それに気付かぬふりができるのであれば、それで終わりで良いのではないか。

 伊坂幸太郎『夜の国のクーパー』

夜の国のクーパー

夜の国のクーパー

 謎は不安であり、無知であり続けることは愚かであり勇敢である。知らないことに立ち向かうことはできないし、知ってしまえば立ち向かう意思を奪われる。誰が何を決断しなければならないのか。瞭らかになることで失われる知はあるものだ。
 仮定をしてみよう。その上で物事を積み上げてみよう。砂上の楼閣に過ぎないそれは、それでもそびえたつ塔である以上、無価値ではあり得ない。