西尾維新『憑物語』

憑物語

憑物語

 終わりへ向かう道に、迷ってしまった。どうすれば終わらせてやれるか。いつだってそれは問題になる。真正面から挑もうと思えば、困惑の跡は拭いようもないくらい明らかに、そこに刻まれてしまう。
 長いものであれば、当然惑う。ずいぶん怖いと、思ってくれればいい。結末にはそれでも期待を残している。

 阿部和重『クエーサーと13番目の柱』

クエーサーと13番目の柱

クエーサーと13番目の柱

 情報は意味を固定しない。そこにある情報に価値を与えるのは、そのまわりを取りかこむ物語たちだ。物語を作り上げることはすなわち想像することだ。材料をふんだんに与えられ、狂気と妄想の支配は濃度を高めていく。
 あふれ出す情報とはつまり、自分勝手な物語を作り上げる材料が、無限に手に入り続ける状況に他ならない。

 松浦理英子『奇貨』

奇貨

奇貨

 一般化を許さない強靭な人間の、外れてしまったところを執拗に書いていく。どうしても敷衍してしまいたくなるところを、直前でせき止める筆のゆるぎない落ち着きが、かえっておそろしい。すべてについて語ることを病的に拒否し、ひとりについて書くことを徹底する。
 それだけが、逆説的に、結論を語ることが許される方法なのかもしれない。

 鹿島田真希『その暁のぬるさ』

その暁のぬるさ

その暁のぬるさ

 失ってから輪郭を取り戻すものは、世の中にありふれている。影で重なっていたものが、ふいに離れていった後の、おのれの姿の貧弱さにおののくことは誰にでもあることだ。その一方で、ただひとりはっきりと周囲をわかつ輪郭の黒々とした佇まいに、美しさもやはり宿る。
 混じり合いながら、畢竟、そこに自分はあり続ける。あり続けるしかない。それが他ならぬ喜びであることを、疑ってはならない。

 舞城王太郎『短篇五芒星』

短篇五芒星

短篇五芒星

 萌芽であり断片であり、表現されきっているものはない。かたちだけは終わったものを、その言葉を額面通りに受け取られることを拒否するならば、散りばめられた意識の着地点はどこにあるのだろう。
 それらが、すでに見捨てられた欠片ではなく、これから拾い集めていくべき宝石であればいいと思う。

 支倉凍砂『マグダラで眠れ』

マグダラで眠れ (電撃文庫)

マグダラで眠れ (電撃文庫)

 筋書きもキャスティングも展開も設定も十分に練られている。
 ただ、人物の気持ちを動かす魂だけがない。
 外郭で核心は担えない。

 柴崎友香『わたしがいなかった街で』

わたしがいなかった街で

わたしがいなかった街で

 すべては連続する流れのなかにある。因果をたどれば果てはなく、そこにあるという状態に満足できなれければ、永遠と無限の網にとらわれ続けるほかなくなる。そうなってしまえば、すべては逆転する。ひっくりかえる。「いま、ここ」こそが実であるはずなのに、限りなくそれが希薄になっていく。
 時間のなかで、自分が希釈されていく。
 もしもの世界に生きることはできない。それは連綿と続く時の流れである。わたしが不在である世界がぽっかりと口をあけている。わたしを忘却すればすべての地ならしは終わり、そこに焦土が開ける。求めてはならない。意味を。
 ただ、時の流れだ。それは何者でもない。